かたちは色々あるけれど、頭の中にあるものはそうそうない。
かたちにする腕があればいいけれど、どうにも頭と連動していない。
というわけで腕のある方にお願いしました。
いつもの如く雲を掴むようなハナシを聞いてくれたのは多治見の3rd ceramics。
湯呑のようで、カップのようで、ぐい呑みのようで、
何かのようで何かでない、未分化な器。
ただ、とにかくかたちは手に包むと気持ちよく無垢なもの。
こんな始まりから作り進めていってくれたことには本当に感謝してます。(尊敬も)
そうして仕上がったものです。
といっても紆余曲折はありました。
最初のサンプルは形はもちろんのこと、土や釉薬の仕様もまったく違うものでした。
そこから、実際に暖かい飲み物を注いでみての器の温まり方や冷め方。
容量と持ったときの重さや安定感。
口当たり、多様な飲み物との相性。
様々な観点でお互い根気よく話しては作っていったものです。
そういった要素の積み重ねで自然と輪郭が浮き上がってきました。
でも最終的には轆轤を挽く本人の中にある純粋で裸のかたちに収まったんじゃないかと思っています。本人的にはどうでしょうか?
素材は白土を使い、表は無釉で、見込みにだけ施釉してあります。
手法的には3rdの代表的なプロダクトのフラワーベースと同じものです。
このフラワーベース、3rdが生まれる前から存在したもので、今思えば、彼と出逢ったときに私が最初に選んだものでもありました。
その時から、定まっているようで定まっていない、自由で気持ちの良い曲線だなと思っていました。それが今また結びついた、そんな気がします。
今回は多様な飲み物での使用を考慮し、通常より焼成温度を高く、粘土の退化温度ギリギリまであげてカリっと焼き締めてあります。
その為、表面は無釉ですが、汚れや茶渋などが付きにくく、手に持った感覚も、吸い付くような滑らかさがあります。(見込みには施釉してあります)
ほんのり温まった状態で手に包むととても心地がいいですよ。
また、サンプル制作を重ねる中で、最後までこだわった(我儘をいった)のが器の胴から口、見込みに繋がる流れです。
腰から胴に向けて膨らんでいき、口に至るまでにほんの少し閉じていく。でも閉じているようでしっかり開いているという禅問答のような注文をしました。
そうして出来上がったのが口はほんのわずかに閉じながら、見込みの淵は開いているという形です。これは実際に見てもらわなければ伝わりにくいですね。
でも、とても飲みやすい口当たりになったと思います。
不思議なのが、目で見るとほんの少しすぼまっているように見えるのですが、目を閉じて指でなぞると、口縁がやや広がっているように感じるのです。
わたしの思い込みかもしれませんが、お店でよかったら試してみてください。
さて、そんな作り手に無理ばかりいった、思入れのあるこちら。
なんか名を与えたいなと思いました。大げさですね、愛称ですね。
白晒(しらさ)と名付けました。
染める前に日や流水に晒して色を抜いた晒生地のように、
無釉の白肌は長く使うごとに薄く色を帯び、それぞれの生活を写した景色となっていく。
何ものでもないようで、注がれた飲み物で姿を変化させる無垢な小碗です。
お茶、珈琲、お酒、果ては料理を盛る小鉢にでも。
お好きに染めてやってください。