未 – わより古物展に寄せて その2

2018年8月1日

 
前回のお話からすこし空いてしまいましたが、つづくと言ったからにはつづきを。

 
 
少し話が変わりますが、店主であるわたしは、子供のころから拾い物が好きでした。
 
街でも田舎でもない地元には、程よく自然もあったし、町内には何かしらの町工場や公園とかでもない、なんとなくの空き地が点在していて、
あちらこちらに出掛けては、木の棒きれや、手のひら大の錆びた鉄の塊、海ではたっぷり波に揉まれたガラスの破片、なんかぐっとくる石ころなどを拾っては勉強机の奥底などに潜ませていました。
 
それらは自分にとっては魅力的な宝物で、なんかしらの意味合いを見出してあれこれ想像して遊んでいたことを憶えています。
 
 
もちろん親からしたらそんなものはゴミでしかなく、隙を見ては捨てられて、懲りずにまた拾ってくるの攻防を繰り返していました。
 
 
時は経ち、すでにアラフォーに差し掛かる今でも変わらず拾い物をしています。
いい大人になったので、いやいやさすがにもうちょっとましな拾い物をしているぜ、と思っているのですが、今ざっとお店の中に忍ばせてあるそれらを眺めてみたらあんまり変わってないなと気づきました。というか拾い物をしている時点で何にも変わってないね、、。
 
 
さらにタチが悪いのは、そういった謎の何かを古物店などでお金を出して蒐集するようになったということです。
 
一応自分の中では一定のルールがあって、お店のディスプレイに使えると感じたものや(結果使えないこともあります、、)、自身の仕事上の知的探求の為に、被服服飾文化に纏わる遺物を資料として集めるという自分的大義名分を振りかざして、呆れる嫁をしり目に、日々嗅ぎまわっています。
 
 
そんな店主の役に立つのかわからない知的欲求の解消に一役買っているのが今回の主役、わよりさんなのです。
 
 
 
誤解を招くといけないのですが、わよりの桂山くんが選ぶ古物は、こんなわたしが好むような謎の何かばかりではなくて、
しっかりと骨董、古美術、アンティークスと呼べる由緒ある品物もしっかり扱っていて、その知識も信頼たる深さをも持っています。
もちろん今回はそういった品々も多く並びます。
 
 
しかし、桂山くんに一目置く理由は、そういった品々と同じ目線でじつにフラットに、謎の何かを選び取るというところなのです。
 
 
そういった品の仕入れに際して、彼のものさしは実に軽妙でいて芯が通っています。
 
それがなんなのか、その来歴が図れないものでも、まずはしっかり古く時の経過の痕跡が刻まれているもの。
 
なにかしら気を惹かれる存在性の違和感があり、単純に見た目が格好良く、空間の間を持たせる力があること。
 
売れる売れないは関係なく、そのものを何より自分が愛せること。
 
 
でなければ、自分がお店をやる意味が無いと彼は考えているのです。
 
 
そんな魅力的なお店はそうそうない。
移転先の物件が見つかるまでの間、彼に選ばれた、鈍く怪しく輝く品々を倉庫に眠らせて置くのは実に惜しい。
 
そう思い、AUTHORでの展示販売を提案したのでした。
 
はぁ、、ようやく前回からの引きに繋がった、、(繋がった?)
 
 
彼は自身の選んだ品々を実に嬉しそうに、愛おしそうに紹介してくれます。
 
 
今回の企画展案内状を作る為に、フォトグラファーの関谷さんに撮影をお願いしたのですが、
特に撮影してほしいものはありますか?という問いに、どれも好きすぎて選べないと答えていたのが印象的でした。
(さながらケーキバイキングを目の前にした女子のようでした)
 
 
しかし、それでは仕事が進まないので、私と関谷さんで「的」がいいねとなり、無事に今回のメインヴィジュアルとテーマが決まったのです。
 
 
 
テーマはわたしが決めさせていただきました。
 
的の、どこか無機質な記号感が、視力検査で目にするランドルト環(Cみたいなやつ)を連想させたというのと、古物を視覚中心で捉え、その面白みや価値を見出す私たちの楽しみ方を表す言葉として、
 
 optical=目の、視力の~/視覚芸術的な~
 
このワードが丁度よく当てはまると感じたのです。
 
 
 
李朝も、古伊万里も、19Cヨーロッパアンティークスも、風雨にさらされて土に還る寸前の木塊も、錆びた鉄板も、すべて等しく、その見た目と纏う空気感を純粋に楽しんでいただけたらと思います。
 
会期中は無休、桂山くんもほぼ毎日お店に立ってくれる予定です。
是非、とても物腰のやわらかい(でも店主と同じく変わり者の)桂山くんとのお話も愉しんでください。